人生折り返し日記

いわゆるモーニングノートです。愚痴ばっかで

2024/01/05 昨日というより年末に思ってたこと

書きたいことは沢山あったけど、なんとなく書くタイミングを逸していてこんなに日にちが経ってしまった。
今年のお正月は大きな天才や事故があり、なんとなくざわついた年の始まりだなと感じた。まぁ多分多くの人もそんなふうに感じたのでは。

年末ジャンボを買い忘れたので、その代わりサッカーくじのビッグを購入した。結果は参加賞のような5等がひとつであった。大体1割戻ってきたので、宝くじの300円の当選と確率的にも割合的にも似ているな、なんて考えていた。サッカーくじはキャリーオーバーまで合わせると12億とか13億とかになるらしい。年末は少しドキドキしながら、当たったらどうしようかな、なんて考えながら過ごしていた。

こういう話でよく在るのが、「当たったら仕事辞める?」である。自分は「仕事は金額を問わず辞めない」と考えている人間なので、辞めないと答える。特に独りものとしては、仕事を辞めてしまうとコミュニティーがなくなり、何もしなくなってしまいそうだし、誰とも話もしない時間が続いていく気がしてしまう。何かしら社会との接点を持っていた方が良いとは、昔から誰かに言われていたので、大金持ちになっても辞めないと思っている。一方で昔先輩に「寂しいから会社に来るって奴は病んでる。それは間違ってるぞ」と言われた。確かに学校でもあるまいし、そうだよなと思う。

改めて12億当たっても辞めないのか?と考える。1年で1千万円ほど使っても、120年かかる。ってことは、もっとハイペースで使わないと使いきれない。そういえば投資系YouTuberが、独居の男性の平均寿命は67歳と言っていた。1年1千万円使えたとしても2億もいらない。家や宝石、車でも買わない限り、12億なんてなかなか使いきれない。
それほどお金があっても本当に会社を辞めない?それでも辞めないって、ちょっと病的では?なんて考えた。

極論はあまり何ももたらさないが、時折物事の根幹をわかりやすくする。気付いたのは、自分のコミュニティーを外にもっと作らなければいけないし、もっと作るべきで、それを仕事仲間や会社で代用しているのは違う、ということ。そもそも仕事なんて、人生の多くの時間を会社に捧げている訳で、本来は自由であったほうが良いに決まっている。奴隷は解放してあげても、少し経ったらまた雇用主の元に戻ってきてしまうと聞いた事がある。自由になった時にやる事が分からなくなる人間も同じだ。雇用されること、命令されることに慣れすぎてしまって、自分の頭を使わなくなっているのだ。だから現状から抜け出すことを考えない。
今年は少し自分の自由ということを考えたいと思った。

まとめ

飼われすぎてて分からなくなっていたけど、もっと自分の自由で楽しい時間を過ごすための努力が必要のよう。

2023/12/28 休みなのに仕事術

今日から年末年始のお休み。といっても今週はもう仕事もやる気なく、問い合わせに対応するぐらいでタラタラ過ごしていた。なのでどこからが休みなのかもよく分からない。まあ在宅の良いところではあるが、管理する側だったら大変だろうな、なんて思う。
気持ちがだらけているからだろうか?モーニングノートなのに、最近は夕方に書いている。

休みギリギリに1つの仕事を業者に発注しようとた。ヒアリングを受け、先方がこちらのニーズをまとめてくれた。それが全くニーズを受け取れていない内容だった。担当者は「あなたは気付いていないですが、あなたのニーズはこれなので・・・・」と長々とメールを書いてきた。冷静に返答した。理論的に「あなたがキャッチしたと思っている私のニーズは間違っている。なぜなら・・・」と返す。けどまた進展しない内容が返ってくる。それに気付いた先方の上司から謝罪が入る。

若い頃なら激怒してさっさと担当変えろとか言ってしまったかもしれない。けど最近は怒ると損する気がするので怒らない。後は正直なところ怒るにはパワーがいる。そんなパワーを使いたくないし、もう無いんじゃないかと思ったりもする。たまにお店で怒っている老人を見つけるが、どこにそんなパワーがあるんだろうと不思議に見てしまう。怖いとか馬鹿だなとか、そんな感情ではなく、本当に不思議な生物を見るように思わず見てしまう。ただ内心怒っていたり、イライラしたりすることはある。当然今回も時間ばかりが過ぎてしまう事に苛立ちを覚えた。

改めてなんでこんなことが起こるのだろうと考える。人の話が聞けてないんだろうな、と思う。これは結構世の中に入る。傾聴などという言葉もあるが、人の話を、真意を掴める人は、意外と少なかったりする。クライアントにヒアリングする人ではなかなか少ないが、慣れてない人もやはりいる。分かりやすいのは人が発表している時に、途中で反論し始めたり、話を遮って喋り出す人。この人たちは他人の話を聞いているようで、途中から自分の意見を頭の中でまとめだす。結果まとめ出す前までの情報で考えるため、話していた人の結論や主旨とズレることがある。これの厄介なところは、本人は話がズレていたり、主旨を掴めていない事に気づかないこと。そして「人の話を最後まで聞きなさい」と注意しても、ほぼ治らないこと。理由はご自身は人の話を聞ける人間と思っているから、である。正しい傾聴の仕方を習ったことも、習慣づけさせられたこともないからである。

なぜこれを書けるかというと、学生時代や社会人時代に強烈な先輩がいて、話を遮った瞬間に平気で物が飛んできた。人の話が終わるまで話すなと、強烈にしつけられた。デジタルカメラとか平気で投げつけられた。その後、コーチングやNLPなどを体系的に学ぶことがあり、この時にヒステリックに教育されたことが、実は良いことであったと気づく。自分が人の話を聞けない人であったから、この違いがとても分かる。そして直り難い事も強烈にわかる。
接しててイライラする。けど多分本人が一番損をする。本人はなぜ自分が人から怒られるのかが分からないので、上司や客から嫌われているんだとか、今の会社と合わないと考え出す。人によってはメンタルになる。まあ、仕事相手でお金を払う側だと正直迷惑しかないけどね。

まとめ

怒っても損だけど、怒るべき時には怒るパワーは残っているのだろうか?いつから腹が立たなくなったかなぁ。。。?

2023/12/27 クリスマスソングで思い出す

随分書かずに時間が過ぎてしまった。書きたいこと、書けることは沢山あったのだけど、タイミングを逃してしまった。まだまだ書く習慣が身についてないのだろうな。

書いてない間にクリスマス期間が過ぎてしまった。今年のクリスマスはひっそりと、小さな驚きがあった。
少し早い部屋の片付けをしていた。音が無いのも寂しいので、珍しくラジオをつけていると、Kissin' Cristmasが流れてきた。びっくりした。その理由を説明はできる。けど、その想いを共有することは難しい。この曲を聴いて驚く人というのは、私と同じようにそれなりの年齢の人である必要がある。

この曲はもともと1986・87年に行われたクリスマス特番のために作成されたもので、曲が桑田佳祐、作詞がユーミンという豪華なものであったが、長い間発売がされず、たった2回だけクリスマスに行われた特番で歌われただけであった。当時は会社の利権問題とか色々噂され、結果として長く幻の曲となっていた。ただこの曲に根強い人気があったのか、一度だけ桑田のベストアルバムに、桑田1人バージョンが収録された。それだけでも十分過ぎるほど感動した。

今年流れてきたKissin' Cristmasは、初めて聞くバージョンであった。けど、桑田とユーミンの声が収録された奇跡のような曲が流れてきた。ある意味オリジナルメンバーによる再録音であった。37年だ。37年の時間がざざっと戻る感があった。37年前のクリスマス。もちろん父親も健在であるし、家族で過ごすクリスマスであった。今ほど色々な娯楽がある訳では無いので、テレビをつけてこの特番「Merry X'mas show」を見ながらケーキを食べ、プレゼントをもらい、冬休みに入るワクワクを感じていた。頭のどこかに保存されていたそんなイメージが、ワーっと再生されてきた。音楽の素敵で素晴らしい効果であり、時に残酷で辛い力である。そして何より時の流れの重さを感じることで、表現し難い感情に襲われる。ただ一つ整理して表現できるのは、あの頃に思っていた自身の将来と、実際の今の有り様はどう違いがあるかを考えてしまうことであり、そこに触れると重い気持ちになる。

「思い描いた未来に辿り着けましたか?」と聞かれれば、やはりNoになってしまう。大半の人は同じかな、と勝手身思っている。違ったらごめんなさい。何やっていたんだろうとも思うし、結局何のために一生懸命毎日仕事していたんだろう、なんて思ってしまう。
ここから少し思い直してしっかりと生きるか、先が長い訳でも無いのでケセラセラで散財しながら生きるか、年末真剣に考えるか。。。。

まとめ

何も難しく考えない方が楽しいと思う。けど性格は変えようが無いんだよな。。。

2023/12/23  けど昼過ぎに書く

気づけば1日書き忘れた。まあ仕方がない。

さて本日も忘れかけてからの記載。このノートは何も書く事が無い時ほど本領を発揮する気がする。それは絞り出さなければならないので、綺麗事を書いている暇がなくなるからで、結構本音が出る。それがデトックスになるから、良いとは思うけど、こうやってWEB上に書くのは慣れてないので、どうだろう。

さて最近考えるのは「まさかこんな事ができるようになるとは、、、」と嬉しい時に出る一言。見ている番組が偏っているからか、よく芸人さんから聞くが、「昔はあんなに貧乏で」とか「あんなに売れてなかったのに」とか「他の芸能人に無視されるような存在だったのに」とか、昔との比較をした時に、まさかこんな風になるとは思わなかった、という一言を聞く。オードリーであったり、爆笑問題であったり、麒麟の川島であったり、色々な人からポロリと漏れる。いいなー、と思う。まさかこんな世界線が待っているとは、と思えるような感動であったり振り返りができる人生なんて、なんて幸せだろうと思う。もちろんその当時がどん底で、それでも諦めずに歯を食いしばって進んできたから今がある訳で、そんなに簡単なことではない。また客観的に結果だけを見ているから羨望の目で見れるが、一歩間違ったら社会不適合者で終わっているかもしれない。そんな中でも突き進んできたから、そして才能があったからのご褒美だと思う。けど、下世話なところ羨ましいと思う。

問題はここからで、では何が達成されれば「こんな世界線が待っているとは思いませんでした」「まさかこんな事が起こる未来を予想してしなかった」と感動できるか?困ったことにこれがない。。。例えば毎年放送されている「さんま・玉緒のあんたので願い叶えたろか」に、もし自分がインタビューされたときに何を叶えて欲しいと答えるか???毎年これに悩む。番組を見て感動する。そして夢のある人生は素晴らしいと心から思う。けど、そのチャンスが来ても、自分はお願いすることが無い事に気づく。もちろん何でも良いなら億万長者にして欲しいとか、女優と結婚したいとか、時を戻したいとか、色々あるが、ここでいうのは番組で聞かれた際に答えられる本当に現実的なものだ。それがない。これを毎年気付かされて、毎年感動から一気に寂しさに落とされる。
夢とかゴールとかって何だろう。自分は求道者でもないし、そこまでハマる趣味もない。もちろん誰かに会いたいとかはあるが、そこにエピソードは何もない。何かあるともっと瑞々しい人生を送れるのだろうか?もっと楽しそうにできるのだろうか?魅力的な人間になれるのだるか?凹むばかりだから、今日はこの辺でやめておこう。

まとめ

夢ってどうやって見つけるのだろう?いつのまにこんな人になっていたのだろうか。。。

2023/12/21 夜なのにモーニングノート

夕方に書き写す。けど、モーニングノートの代わりなので、朝に思ったことを書く。。。

本日はメチャクチャ寒かった。最近始めたジョギングで、少し寒くて辛いなと思った。ジョギングは昔はトレーニングであったが、最近はそれほどの距離を走ってないし、また朝一に出るのであまり運動と考えていない。むしろ瞑想。走っている最中は結構暇なのだ。なんせ何もできない。もちろん音楽を聴いたり、何か音声の学習とかもできるが、今はそれほどの距離を走っていないので何もつけずに走っている。そうすると色々考える。昨日のことであったり、最近ムカつくことであったり、仕事の事であったりと。これが意外と精神衛生上には良い気がする。特に怒りの感情は、ここで冷静に論理的に考えることで、大体治る。ちょっとしたアンガーマネジメントの役に立っている。モーニングノートのネタ出しにも良い効果が出ている気がする。

最近そこで思っていることは、「飽きたなー」ということ。人生に飽きたし、仕事に飽きたし、かといって新しいことにチャレンジするパワーもない。まあこれは言い訳かもしればいが、とにかく飽きたなと思う。

先日、Netflixでオードリーの若林と星野源ライトハウスを見ていたとき、若林から出た発言が「飽きている」。それを聴いた時に、「あぁなるほど。俺も飽きている」と心底思った。そりゃそうだ、ほぼ同じような事を繰り返している。歳を取れば取るほど、物事をまとめ、カテゴライズするのが上手くなるので、新しいことでも「あっ、あれと似てるわ」と分類してしまう。これが余計で、最高に詰まらない行為だ。

時は遡るが大学生の頃、映画が大好きであった。レンタルビデオ屋で借りて1日3本とか映画を見ていた。大体夜中から見始めるので、3本目が見終わる頃には朝であった。そうなると眠気もあったが「1本目って、どんなストーリだっけ?」となる。それでも毎日毎日それを苦行のように続けていると、いつの間にか頭の中でデータベースができ、「この映画はあれと似ている」とか「この映画はあの映画と設定が一緒」とか、勝手に頭の中で分析・分類するようになった。映画評論家にでもなるならこの能力は便利だと思う。けど、趣味で見ているだけの人間としては、これは全くもって不必要というか、全然いらない能力であった。むしろ邪魔な能力なのだ。要は新作映画でも見ている途中から分析を始めてしまうので、全然面白くなくなってしまう。で、行き着いたのは映画に飽きて1本も見なくなった。。。。

それでもハマれる人もいる。少しの違いを楽しめる人もいる。こういう人達は、それぞれの分野でTOPになっていく。要は極める、ということ。けど凡人の私にはその素養はなく、もれなく飽きるのだ。そして今は人生にも仕事にも飽きている。さてこの先どう生きていけば良いのだろう。。。。

まとめ

飽きてしまった仕事をダラダラやり続けるか?重い腰を上げて新しい世界に飛び込むか?けど年取ってもワクワクするのかな???

2023/12/20 朝に昨日の反省をする

さて本日も書いてみる。

昨日の振り返りとしては、ここ数日変わらず飲酒が止められないことか。治す気がないと思われてしまうがそんな事はなく、朝はいつも後悔して止めようと本気で思っている。少し話はズレるが、朝から反省している、後悔しているのは精神的に良く無いんだろうと思う。志村が生前楽屋にとんでもなく早く入るらしく、その理由が遅刻して謝ることから1日を始めたくない、という話であったそうな。確かに1日の始まりは反省ではなく、希望に満ちた、やる気に満ちた精神状態の方が良いのだろう。そう考えると何十年間、反省で始まる朝を続けているのだろう。少しづつでも良いから減らしていきたい。

レーニングジムのスタッフとも話たが、もう年末。毎年早いなと思う。誰もがいうマンネリ感のある言葉だけど。しかしもう少し幸せな年末を過ごすと思っていた。彼女もできて、年末・年始のイベントを過ごし、その先のことも話し合うような年末になると思っていたけど、今年も一人の年末年始のようだ。総じて今年は良いことは殆どなかった。というか、例年なら絶対に起こらないようなアクシデントが連発した。こんなことあるの、と周りがヒクほど、出会う確率の低いアクシデントに会いまくった。ほとんどは怪我や病気といったものであった。で、年末に一つぐらい良いことがあるものだと出会を楽しもうとしたけど、これも終了。ぬか喜び

年取った人間の楽しみとは何だろう?趣味も無いし、気力も落ちてきているし、これから何をすれば良いのだろうと深く感じてしまう。一方で、今の生活はもう飽きた。日々何のために働いているのかもよく分からなく、これでは本当に働きロボットとして生まれてきたようなものだ。自分の好きなように生きたら、とか青臭いことを言われるが、本当に好き勝手生きてどうなるのだろう?収入とか、住居とか、色々。。。さらには今更だと、俺の好きなことってなんだ?と思ってしまう。何をするにも「今更初めてもな・・・」という感覚もある。

何が楽しくて日々過ごしているのだろうかな?なんて思う。昔なら仕事に打ち込みこともできたけど、今更仕事に打ち込んだところで、ポジションが上がる訳でもなく、収入が上がる訳でもなく、昔ながらのサラリーマンを淡々と続けていくだけな感じである。そりゃ酒飲むぐらいしか無くなっても仕方ないのかな。。。心の底から打ち込めるもの。こんなに年取っても出会う事はあるのだろうか?

まとめ

こんな歳になっても、何のために生きているのだろうなんて考えるの、本当に嫌だ。いったいこれまで何してたんだろ、と思ってしまう。

2023/12/19 昼前に書いてみる

本日はお昼に記載をする。
昨日の反省としては、やはり飲酒。昨日は少し早く飲み始め、その後リカバーに努めたが、朝起きた時の体の怠さはあまり変わらない。というか、かなり怠いので、やっぱり飲酒はダメだな、と思う。それは分かっているのだけど、夕方になると酒を買っている。どうにかして止めないとなと思う。

やらなきゃいけない事は沢山ある。例えば英語の勉強であったり、論文の為の作業であったり、資格取得のための勉強であったり、などなど。全然進んでいない。特に研修論文の作業は進めないと、かなりマズイ。来週に報告することが無い。けど、酒を飲み一日の疲れを感じると、そのまま酔っぱらって寝てしまう。もったいない。多くの人が一分一秒を惜しんで作業をしているのに、自分は何をしているのだろうと思う。結局、睡眠にしわ寄せが行き、寝不足のまま仕事をするので作業効率が悪く、ダラダラとなってしまう。もっとしまりのある生活をしないと、何も得られなと感じる。ただでさえ何も面白くなくダラダラ生きてきたこれから数年後には会社の肩書もなくなる中で、何をやっているのかな、と自分で思ってしまう自分を自分自身で何者かにして行かないと、本当に老後は安アパートでワンカップを飲み、誰かが寝たばこで家事を起こして焼死するような終わり方になってしまう。
もう何年も生きられるか分からないけど、それなりの尊厳をもって生きていたいと思うので、いまもう少し頑張らないと、と思う。

さてLineの方は相変わらず何も言わず。結局この出会いもダメだったのかな?押して良いものか?相手からしたらただウザい人になるのか?ウザい人になるとまずいのは、日常の別件で合うからで、そこで気まずかったり、下手したら他の人に相談されたら、ちょっと困る。セクハラやストーカー扱いされたら困る。押して押しての口説きと、粘着質なアプローチの違いが分からない。結局相手の感じ方次第なのでは。。。とすると、うかつに手を出せないじゃないか。

この年になって、何やっているのだろう。こんなLineに一喜一憂して。先週、先々週と一緒に食事に行ってたのに、なんでこんな微妙な距離感になってしまったのだろうか?よくわからん。。。男女関係は脳みそのスペースを取られてもってかれるんだよな。他の事がおろそかになるから、平穏無事で進めていきたいのだけど。いつまで経っても上手くならない事があるんだな。やっぱり男子校経験はダメだ。

まとめ

やる事あるのだから、お酒少し我慢したい。。そして女性への詰め方は全く分からん。。